ロボット
「じゃあ、お先に失礼します。」
「ああ、お疲れさん。」
上司とのやり取りを交わしてから、エスさんは職場を後にしました。帰りの電車に揺られながらエスさんはボーっと考え事をしていました。
エヌさんは最近残業が続いていることを気にしており、お嫁さんに子供を任せっきりにしていることを申し訳なく思っていました。
「ただいまー。」
「お帰りなさい。あなた。」
エスさんが家に帰ったのは九時過ぎでしたが、エスさんの帰りを家族は待ってくれていました。エスさんはそのことをとても嬉しく思いました。その夜にエスさんはすやすやと眠っているお嫁さんの隣で家族を大切にしようと思いました。
「私はなんて良い家族を持っているんだろう。嫁も残業続きの僕に何も言わずに優しくしてくれている。感謝しないとな。」
*
次の週末にエスさんは家族とお出かけに行ってきました。遊園地でエスさんの子供は楽しくはしゃいでいました。お嫁さんもエスさんも、子供の笑顔を見て自分達も嬉しくなりました。
「パパ、今度はあれに乗ろうよ。」
エスさんの子供はメリーゴーランドに向かって走っていきます。
「こら、あんまり走ると危ないよ。」
エスさんのお嫁さんは子供にそう声を掛け、エスさんの手を握りながら子供を追いかけていきました。
「今日は久しぶりに遊べて良かったわ。あの子も嬉しそうだったし。」
ベッドの上でお嫁さんはエスさんにそう言いました。子供はもうすでに自分の部屋で眠りについています。
「最近、残業続きだったからね。仕事じゃなく家族のために何かしたくてさ。楽しめたならよかったよ。」
エスさんはお嫁さんの方を向いて言いました。
「いつもありがとう。君と出会えて良かった。」
エスさんはお嫁さんを抱きしめました。お嫁さんも嬉しそうでした。
*
「今日も遅くなってしまった。」
エスさんは家への帰り道を急いでいました。残業で遅くなるから先に寝ておくようにお嫁さんには言ってあります。暗い夜道を早足で歩いていると前から男の人が歩いてきました。
「こんばんは。」
男はエスさんに声を掛けてきました。顔は暗いため良く見えません。
「えっ……こんばんは。」
エスさんは少し驚きながら返事をしました。男は笑いながら話しかけてきます。
「いやあ、久しぶりです。僕ですよ。エスさん。」
「すみません。どなたでしょうか。顔がよく分からないもので。」
「何です?自分の事忘れちゃったんですか。エスですよ。エス。強いて言えば、本人です。」
男はそう言いました。
「エスは私ですよ。何を言っているのかよく分かりません。」
エスさんはヤバい奴に絡まれたと思いました。そして、様子を見て逃げようと思いました。
「……まあ、顔を見ないと分かりませんよね。」
そう言って、男は自分の顔をライトで照らし上げました。
「うわぁ!」
エスさんは腰が抜けるほどびっくりして思わず大声を上げてしまいました。なんとそこには自分に瓜二つの顔があったからです。まるで鏡でも見ているようでした。
「何なんだお前は!」
「あはは。やっぱり驚きますよね?ロボットの僕、今まで僕の代わりを務めてくれてありがとう。一応直接礼を言っておくべきだと思ってね。」
エスさんはそう言いました。エスさんは目の前のエスさんの言うことが信じられませんでした。それどころかお化けだと思って、家に向かって走って逃げてしまいました。
「あ……行っちゃった。まあいいか。近いうちに職場に行こう。」
そう言ってエスさんは帰っていきました。
*
エスさんはこの二、三日の間、仕事に集中できていませんでした。自分と瓜二つのお化けに出会うという嫌な体験をしたからです。
「あれは幻覚だ。それにしてもあまりに似すぎていた。今でも冷や汗が出てくる。」
エスさんはパソコンの前でそう思っていました。
「おい、エス。お前に来客だ。」
上司がエスさんを呼んでいます。
「あ、はい。今行きます。」
エスさんは自分に来客なんて何の用だと思いながら、客室に歩いていきました。
*
「な、なんでお前がここにいる!」
エスさんは大きな声でそう言いました。驚くのも無理はありません。あの瓜二つのお化けが目の前にまた現れたのですから。
「すみません。落ち着いて聞いて下さい。」
エスさんの隣にいるスーツを着た男がエスさんの上司に言いました。
「私達は政府の命令を受けて、アンドロイドの研究を行っているものです。そして、この度アンドロイドが社会において溶け込んでいけるのか、人の代わりをすることが出来るのかといった実験を行っていました。隣にいる彼はエスさんと瓜二つに作られたアンドロイドです。」
「おい、どうして私を無視するんだ!私がアンドロイドだと?馬鹿にしているのか!」
エスさんは研究員に向かってそう怒鳴りました。
「ちょっとうるさいぞ。被験体をスリーブモードにしとけ。」
先ほど説明をしていた研究員はもう一人の研究員にそう言いました。その研究員が取り出したリモコンを操作したとたん、エスさんは話すことも動くこともできなくなりました。意識だけがはっきりしている状態です。
「エスさん本人には了承を取ってありますが、実験の都合上、職場と家族の方々には事実をお伝え出来ませんでした。十分なデータが得られましたので、実験を終了することになりました。ご協力ありがとうございました。」
研究員はそのようなことを上司に話した後、帰っていきました。
*
「それでは、エスさん。ご協力ありがとうございました。ご家族の方にも連絡が言っておりますので安心してください。長い間会えず積もる思いもあったと思います。どうぞゆっくり過ごしてください。謝礼はまた後で振り込ませていただきます。」
「こちらこそありがとうございました。」
エスさんは研究員にそう言いました。そしてエスさんに向かって言いました。
「アンドロイドの僕もありがとう。短い間だったけどお疲れ様。」
そうして、エスさんは帰っていきました。
「では我々も帰りましょうか。1023号、ついてこい。」
*
「おい、私をどうするつもりだ!私は人間だ。エスだ!」
エスさんは声を荒げて叫んでいます。
「あー、うるさい。まったく、開発者も嫌な趣味してるよな。ロボットの記憶を消すときは叫ばせない機能でもつければ良いのに。これじゃまるで人を殺してるみたいじゃないか。」
研究員はそう言いました。
「仕方ないだろう。アンドロイドの記憶を完全に消すときはスリーブモードを解除しないといけないんだから。技術的にもそれは不可能らしいよ。」
「面倒くさい仕様だな。」
*
「私が本当にアンドロイドだとすれば、私は誰なんだ。エスではないのか。記憶だってある。人格だってある。なのにアンドロイドだと?そんな理由で殺していいのか!」
「ああ、うるさい!早く殺しちまおう。」
そう言って研究員はボタンを押しました。
エスさんの断末魔は研究室に響き渡りました。
「よし完了。」